大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和45年(行ウ)190号 判決

原告 川本豊子 外四名

被告 立川税務署長

訴訟代理人 新井旦幸 磯部喜久男 外二名

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた判決

(原告ら)

一  被告が昭和四二年二月三日付で原告らの相続税についてした別紙一(ハ)欄の更正処分及び過少申告加算税賦課決定処分のうち別紙一(チ)欄の部分をそれぞれ取り消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

(被告)

主文と同旨

第二当事者の主張

(原告らの請求原因)

一  原告川本豊子は昭和三八年一二月二三日に死亡した川本日出生(以下「亡日出生」という。)の妻であり、原告川本昇、同川本暉夫、同中川〔日令〕子及び同津村晴子は亡日出生の嫡出子である。

二  原告らは亡日出生からの相続に伴う相続税について別紙一(イ)及び(ロ)欄のとおり申告及び修正申告をしたところ、被告は昭和四二年二月三日付で別紙一(ハ)欄のとおり更正処分及び過少申告加算税賦課決定処分をした。

原告らは、右処分に対し別紙一(二)及び(ヘ)欄のとおり不服申立てをしたが、同(ト)欄のとおり一部取消しの裁決を得たにとどまつた。

三  しかし、本件処分(別紙一(ト)欄の裁決により一部取り消された後の右各課税処分をいう。以下同じ。)は課税価格を過大に認定した違法なものであるから、右過大認定にかかる別紙一(チ)欄の部分は取り消されるべきである。

(請求原因に対する被告の認否)

請求原因一、二の事実は認め、同三は争う。

(被告の主張)

一  亡日出生からの相続にかかる積極財産として原告らが認めているものは、土地三〇六万六九〇三円、建物一七六万三八六〇円、有価証券五〇〇〇万三〇六〇円、預金五三九万三一七五円及び退職手当金等のその他の財産二五五六万〇九三八円の合計八五七八万七九三六円である。

しかし、本件相続にかかる積極財産には、そのほかに蛇の目ミシン工業株式会社の株式(以下「蛇の目株式」という。)三五万八四〇〇株七二〇三万八四〇〇円(一株二〇一円)がある。右株式は、前記の争いのない有価証券の中に含まれている蛇の目株式二四万〇六〇〇株(両者を合せると右会社の株式数は五九万九〇〇〇株)と同様に、亡日出生が右会社の株主名簿にその株主として記載され、これらの株式についての利益配当金を自己の配当所得として所得税の確定申告を行ない、かつ、これらの株式についての増資割当新株を購入するための資金を埼玉銀行東京支店から自己の名で借り入れていたから、亡日出生の相続財産である。したがつて、その価額七二〇三万八四〇〇円を原告らの認める前記八五七八万七九三六円に加算すると、本件相続にかかる積極財産の価額は一億五七八二万六三三六円となる。

二  つぎに、本件相続税の課税価格に加算すべき相続開始前三年以内の贈与に該当するものとして原告らが認めているものは、原告川本豊子について一〇万円、同川本昇について六〇万円、同川本暉夫について一一一万六〇〇〇円、同中川〔日令〕子について五〇万四〇〇〇円及び同津村晴子について六四万五〇〇〇円である。

しかし、本件の課税価格に加算すべき贈与財産には、そのほかに原告川本昇、同川本暉夫及び同中川〔日令〕子が相続開始前三年以内である昭和三五年一二月二三日に亡日出生から書面によらずに贈与された蛇の目株式各四〇〇〇株(一株一三二円)があるから、右原告らにつき各人五二万八〇〇〇円宛を加算すべきである。

三  他方、本件相続開始時における亡日出生の債務は合計二九七四万五七七二円であり、そのうち二四九五万円は埼玉銀行東京支店に対する借入金債務であり、その他の債務が合計四七九万五七七二円である。

また、原告川本昇は亡日出生の葬式費用二〇万円を負担した。

四  右一ないし三に基づき本件相続における各原告の課税価格を計算すると、別紙二の「課税価格の計算」の欄のとおり、原告川本豊子が四二七九万三〇〇〇円、同川本昇が二二二七万四〇〇〇円、同川本暉夫が二二九九万円、同中川〔日令〕子が二二三七万八〇〇〇円、同津村晴子が二一九九万一〇〇〇円となる。

したがつて、本件処分に課税価格を過大に認定した違法はない。

(被告の主張に対する原告らの認否)

一  被告の主張一前段は認める。同後段のうち、亡日出生が蛇の目ミシン工業株式会社の株主名簿に同社の株式五九万九〇〇〇株の株主と記載されていること及び本件相続開始時における蛇の目株式の時価が一株二〇一円であることは認め、その余は否認する。

二  同二前段は認める。同後段のうち、原告川本昇、同川本暉夫及び同中川〔日令〕子が亡日出生からその生前に一株一三二円の蛇の目株式を各人四〇〇〇株宛書面によらずに贈与されたことは認めるが、贈与の日が昭和三五年一二月二三日で相続開始前三年以内であるとの点は否認する。

三  同三のうち、本件相続開始時に亡日出生名義の埼玉銀行東京支店に対する借入金債務が二四九五万円あつたことは認めるが、その全額が同人個人の債務ではなく、個人債務額は九八四万円である。また、右借入金以外の債務が合計四七九万五七七二円あつたこと及び原告川本昇が葬式費用二〇万円を負担したことは認める。

四  同四は争う。

(原告らの反論)

一  亡日出生名義の蛇の目株式五九万九〇〇〇株のうち三五万八四〇〇株は、以下に述べるとおり、法人格なき社団である十一会の所有するものであり、亡日出生の所有ではない。

1 小瀬與作、嶋田卓彌、亡日出生、前田増三、阿部久明、高木正一、田中芳雄、丸山幸一、木村忠雄、井上準暁及び高岡勇の一一名は、戦前から、現在の蛇の目ミシン工業株式会社(以下「蛇の目ミシン工業」という。)の前身である帝国ミシン株式会社(以下「帝国ミシン」という。)において国産ミシンの製造販売事業に携わつてきたものであるが、帝国ミシンが戦時に軍需産業に転換させられたことなどから次々に同社を退職し、戦後の昭和二三年四月、設立されたばかりのリツカーミシン株式会社(以下「リツカーミシン」という。)に揃つて参加したが、リツカーミシンの平木社長と経営方針が合わなかつたことなどから昭和二七年五月二八日同社を集団で退職するとともに、同月三一日国産ミシン事業を発展させる目的で権利能力なき社団を設立するに至つた。これが十一会である。

右一一名はミシン事業の経営理念を共通にする同志であり、その結束は既に帝国ミシン退社時にもみられたが、右リツカーミシン退社に際しては、嶋田卓彌及び前田増三を代表者格として右一一名が統一的意思の下に一体となつて退社条件の交渉にあたり、退職に伴う給付として、各人ごとに区分することなく一括して現金六〇〇万円及びリツカーミシンの月賦代金債権二五二〇万円をリツカーミシン側から譲り受けた。そこで、右一一名は、十一会の名のもとに結束し各人のミシン事業に関する能力、知識、経験、信用を結集して前記の目的を実現すべく、リツカーミシンより一括受領した資金はこれを十一会の基本財産として不可分のものとし十一会の目的のためにのみ使用することを合意したのである。これに基づいて、前記の現金六〇〇万円は直ちに前田増三名義で預金してこれを十一会の基本財産とし、さらに、右預金から一〇〇万円を出資して前記月賦代金債権の回収を目的とするミシン月賦集金株式会社(以下「月賦集金会社」という。)を新橋に設立し、回収された金員も十一会の基本財産とした。

かくして、一一名は共同して右集金業務に専念していたところ、昭和二八年一月三日同人らのミシン業界における専門的能力を高く評価した現在の蛇の目ミシン工業と十一会代表者嶋田卓彌との間において、(一)同社が十一会会員全員を招聘し、うち三名を役員に任命する。(二)ただし、同社の社内事情があるので十一会の名は表面に出さないようにする。(三)十一会は将来蛇の目株式を保有する、という話合いがまとまつたので、同年二月一一日右一一名は集団で同社に入社し(同社の前身である帝国ミシンに在職していたことからすると、実質的には復帰ともいえる。)、役員その他の地位についた。右入社後も十一会の結束は維持され、同年四月一日十一会の正式の規約(甲第二号証)が制定され、これに基づき十一会の社団としての組織、機構が整備されるとともに、毎年その総会が開催され、その資金による蛇の目株式の取得及び放出や会員及びその家族に対する福利厚生の実施等同会の目的を達成するための活動を行なつてきたものである。

2 係争の蛇の目株式三五万八四〇〇株は十一会の資金で購入したもので十一会の所有するものである。十一会は昭和三〇年一〇月一〇日に亡日出生ら一部会員の個人名義ではじめて蛇の目株式三万四〇〇〇株(そのうち、亡日出生名義は一万株)を取得し、その後本件相続開始時までの間に別紙三のとおり右株式の取得及び放出を重ねた。別紙三の七五円株とは、取得時における一株の割当価格七五円にちなんだ呼称であるが、正しくは会員個人に帰属するものであるに十一会に帰属するものとして帳簿上の処理がされていたので、本件相続開始後の昭和三九年八月に正しい帰属関係に調整したものである。右別紙三から明らかなとおり、亡日出生名義の蛇の目株式のうち十一会に帰属すべき三五万八四〇〇株は、昭和三〇年一〇月に新規買入をした一万株をもとに、それが昭和三一年四月、同三四年七月、同三五年七月、同三七年七月、同三八年七月の各増資により逐次増えていつたものであり、その取得資金は、右新規買入分と昭和三一年四月の増資分については埼玉銀行の十一会の預金により充当し、その後の増資分については全部埼玉銀行より手形貸付を受けて調達した(その借入元利金の返済は十一会がした。)。また、十一会が本件相続開始時において十一会々員等の名義で所有していた蛇の目株式の合計は一二七万九一八〇株であり、そのうちの三五万八四〇〇株が亡日出生名義であつた。

このように十一会所有の株式が十一会名義ではなく十一会々員の個人名義となつているのは、前記のとおり、十一会々員の一一名が蛇の目ミシン工業に入社する際に、同社内で十一会の名前を出さないこととされたことと、十一会の会員の中から右会社の要職に就く者が出た場合にその者名義の株式を増やしてその地位を強固にする必要があつたことのためであり、特に後者に重点があつた。なお、昭和四一年以降は十一会は自己の財産を十一会の名義で所有しており、課税上も社団としての取扱いを受けている。

3 十一会の財産の管理は亡日出生及び前田増三を責任者として木村忠雄が担当していた。蛇の目株式についていえば、十一会の会員個人名義でありながら実体は十一会所有のものと、名実ともに会員個人所有のものとがあるが、十一会に属すべき株式の購入及び放出については、総会の承認の下に亡日出生及び前田の指図で払込みや新株の受領を木村が一括して行なつていた。増資に際しての新株割当通知書は株式の名義人である会員個人宛に郵送されてくるが、木村は会員個人の固有分と十一会分とを区分けしたうえ蛇の目ミシン工業の株式課に持参し、受領書と引き換えに十一会分だけの新株を受け取りこれを銀行の貸金庫に保管し、会員個人分は右株式課の保護預りとした。また、配当金についても、木村が、名義人個人宛に送られてきた配当金受領書をまとめ、一括して銀行から配当金を引き出したうえ、会員個人分は各人に交付し、十一会分は十一会の預金口座に預け入れた。さらに、配当金に対する税金については、名義人となつている会員個人が自己固有の分とともにまとめて所得税の申告をし、その後に木村が十一会の負担すべき分を計算して各人に払い戻していた。右のとおり、十一会所有の蛇の目株式はすべて会員個人の名義となつてはいたものの、それが個人の固有分と混同することはなかつたし、もとより名義人となつた会員個人が名義株を自己のものと考えたことは一切ない。もつとも、昭和三四年以降の増資新株の購入資金を埼玉銀行から借り入れた際に、株式に担保を設定して株券を差し入れたために、亡日出生個人分の株券と十一会分の株券とに一部混同を生じたものがある。

二  原告川本昇、同川本暉夫及び同中川〔日令〕子が亡日出生から蛇の目株式をそれぞれ四〇〇〇株宛贈与を受けたのは昭和三五年一二月二三日より前であり、右贈与は相続開始前三年以内の贈与には当たらない。被告が贈与があつた日と主張する昭和三五年一二月二三日は右株式についての株主名簿の名義書換の日であるが、贈与の意思表示があつてその効力が生じたのは名義書換日である右昭和三五年一二月二三日よりも前のことである。

三  亡日出生名義の埼玉銀行東京支店からの借入金二四九五万円のうち原告らの認める九八四万円を除いた一五一一万円は、正しくは十一会が右銀行に負担する債務であり、亡日出生の債務ではない。他方、亡日出生は、十一会に対して五八一万三三二四円の債務を負担していたから、亡日出生の相続開始時における債務は、争いのない四七九万五七七二円に右九八四万円及び五八一万三三二四円を加算した二〇四四万九〇九六円である。

(被告の再反論)

一  原告らは、亡日出生名義の蛇の目株式のうち三五万八四〇〇株が権利能力なき社団たる十一会の所有であると主張している。

1 ところで、権利能力なき社団というためには、取引主体として存立するだけの人的組織を備え、多数決の原則が行なわれ、構成員の変動にもかかわらず団体そのものが存続し、代表の方法、総会の運営、財産の管理等団体としての主要な点が確定しているものでなければならない。

ところが、十一会はこれらを具備しておらず、法人格なき社団とは認められない。即ち、十一会の財産であるとされるものをみると、すべて会員個人もしくはその他の第三者又は架空人の名義となつており、かつ、右のように他人の名義とすることは、十一会の財産の保有の仕方を定めた同会規約二五条に違反するだけでなく、何らかの合理的理由に基づくものでもなく、さらに、会員個人名義の財産のうちどの部分が同人個人の固有財産とは異なる十一会の財産であるかの区分が不明確であり、これらに照らすと、そもそも十一会には帰属すべき財産が存在しなかつたと認められる。右のとおり帰属財産がないことに加え、十一会においては、総会が開催されたことがなく、会計帳簿類も作成管理されておらず、会員が一一名から七名に減少したにもかかわらずその補充がされたことはなく、事務所もなく、取引の主体としての活動も行なつていない。

以上のように、十一会は、社団としての実体がなく、財産の帰属主体たり得ない。したがつて、係争の三五万八四〇〇株を十一会が保有しているとする原告らの主張は既にこの点において失当である。

2 原告らは、会員個人名義の蛇の目株式について十一会のものと会員個人のものとが混同しないように管理されていた旨を主張するが、以下の諸点からみて信用できない。

即ち、

十一会が蛇の目株式を取得したことを明らかにするものとして原告らが提出する蛇の目ミシン工業の用紙を使用した伝票(甲第三二ないし第四一号証)及び亡日出生が生前十一会分と個人分とを明確に区分して把握していたことを示すものとして原告らが提出するメモ(甲第五〇ないし第五二号証)はいずれも不服審査又は本件訴訟の段階において作成されたものと思われるばかりか、右伝票から算出され又は右メモに記載されている十一会所有の蛇の目株式数は何度か変更された後の原告らの最終的な主張とも符合しない。

また、原告らが十一会の活動及びその財産の変動状況を示すものとして提出する預金元帳、現金出納帳、小切手帳控、当座勘定入金帳及び利息計算書(甲第一三ないし第一五号証、第一七ないし第二一号証)はすべて月賦集金会社の帳簿書類であり、これをもつて十一会の帳簿とすることはできない。原告らの主張によれば、十一会の名前を公けにし得なかつたのは、一一名の者が昭和二八年一月三日に蛇の目ミシン工業に入社する際の条件であつたというのであるから、右以前に月賦集金会社を設立するについてはそのような制約はなかつたはずであるにもかかわらず、右集金会社の定款等に十一会の関与を窺わせる記載はみられない。

3 さらに、亡日出生名義の蛇の目株式の変動状況を株主名簿に記録されている株式の記番号によつてたどつてみると別紙四のとおりになり、原告ら主張のように十一会分と亡日出生個人分といつた区別があるとすること自体がそもそも誤りでこれらはすべて亡日出生に帰属するといわざるを得ないことが判明する。即ち、

亡日出生から昭和三六年一二月二九日に原告川本暉夫に贈与された四〇〇〇株の蛇の目株式の株式の記番号は「へ甲五六七ないし五七〇」、同津村晴子に対する五〇〇〇株のそれは「へ甲五七一ないし五七五」であるが、これらの株式は、亡日出生が個人で蛇の目株式を取得し始めたとされる時より前の昭和三一年四月二日に、十一会が昭和三〇年一〇月一〇日取得の株式に対する増資割当分として取得したものであると主張されている。そうすると、十一会所有の蛇の目株式が亡日出生によつて同人の個人的用途に使用されたことになつてしまう。

また、原告ら主張の別紙三によれば、亡日出生が昭和三五年七月一日の増資新株割当により保有するに至つた株式二万二〇〇〇株は昭和三五年一二月に一万二〇〇〇株及び昭和三六年一二月に一万株それぞれ家族に贈与されたということであるが、亡日出生が昭和三五年七月一日に増資割当を受けた一万一〇〇〇株の株式の記番号は「ち甲一九九〇ないし二〇〇〇」であり、これらはその後本件相続開始時まで全く変動がない。そうすると、原告らの右主張は根拠がないことになる。

また、亡日出生から昭和三六年一二月二九日に原告中川〔日令〕子に贈与された一〇〇〇株の株式の記番号は「ろ甲八三」であり、これは、未だ亡日出生の個人分が皆無であると主張されている昭和三二年九月二〇日に取得された七五円株である。そうすると、昭和三九年八月まで十一会分として扱われてきたはずの七五円株が昭和三六年に亡日出生により同人の個人的用途に使用されたことになる。

さらに、別紙四の株式の記番号に基づく株式の変動状況からみると、本件相続開始時において、十一会分が四三万一〇〇〇株、亡日出生個人分が一六万八〇〇〇株となり、原告らの主張と一致しない。

二  株式の贈与の日時について

書面によらない贈与はその履行が終らないうちは取り消されることがあるから、相続税法一九条にいう「相続の開始前三年以内に贈与により財産を取得したことがある」かどうかは、書面によらない贈与にあつては、贈与の履行が終わつた時を基準として判断すべきであり、特に、親子間の書面によらない贈与のような場合には、贈与の事実が外形的客観的に明らかとなり、かつ、その効力が生じた時、即ち受贈者自ら独立の占有を取得した時によると解すべきである。本件の株式の贈与については名義書換日である昭和三五年一二月二三日がこれに該当するというべきである。

したがつて、亡日出生から原告川本昇、同川本暉夫及び同中川〔日令〕子に対する蛇の目株式各四〇〇〇株宛の贈与は相続開始前三年以内の贈与に該当し、右原告らの課税価格に加算すべきである。

三  亡日出生の債務について

前記のとおり十一会の実体がないのであるから、十一会からの亡日出生の借入ということもあり得ない。右借入を記載した十一会の勘定元帳(甲第五七号証の一、二)は、日出生の死後である昭和四〇年末以降に製造市販されたコクヨ製の振替伝票(甲第二三ないし第二五号証)に基づいた記載である点からみて、信用できない。

なお、埼玉銀行東京支店からの借入金が十一会分と個人分とに明確に区別されていたことはなく、亡日出生名義の借入金二四九五万円はすべて同人に帰属するものである。

第三証拠〈省略〉

理由

一  請求原因一、二の事実は当事者間に争いがない。

二  亡日出生名義の蛇の目株式三五万八四〇〇株の帰属

1  本件相続開始時における蛇の目ミシン工業の株主名簿によれば、亡日出生が蛇の目株式五九万九〇〇〇株を有する株主と記載されていたこと、そのうち二四万〇六〇〇株が右株主名簿の記載どおり亡日出生の所有であつたことは、当事者間に争いがない。そして、成立に争いのない乙第一、第二号証、第三号証の二、第四号証及び証人阿部誠治、同佐々木康二の各証言によれば、蛇の目ミシン工業の昭和三九年一一月の新株式発行目論見書の大株主欄に亡日出生が持株数五九万九〇〇〇株の株主と記載されているが、右書類上において、これを二四万〇六〇〇株と三五万八四〇〇株とに区分するような記載は何もないこと、亡日出生名義の蛇の目株式が右のように五九万九〇〇〇株となるまでの経過を株主名簿の記載によつてみると、昭和三〇年一〇月一〇日買入により一万株取得、同三一年四月二日増資により一万株増、同三二年九月三〇日買入により七〇〇〇株増、同三四年七月一日増資により三万八〇〇〇株増、同三五年七月一日増資により六万五〇〇〇株増、同年一二月二三日原告川本暉夫らへの譲渡により一万二〇〇〇株減、同三六年一二月二九日右同様の譲渡により一万株減、同三七年四月三〇日買入により二万五〇〇〇株増、同年七月一日増資により一九万九五〇〇株増、同三八年四月斉藤悟らへの譲渡により三万三〇〇〇株減、同年七月一日増資により二九万九五〇〇株増という推移をたどつているが、このうち昭和三四年七月一日以降の増資による新株取得の際の払込資金の調達については、すべて、亡日出生名義の蛇の目株式に担保を設定し同人を債務者として埼玉銀行東京支店から借入がなされ、右借入金をいつたん同人名義の普通預金口座に入れた後に払込が行なわれたこと、亡日出生は、同人の昭和三七年分及び昭和三八年分の所得税確定申告において蛇の目株式についての配当所得を申告しているが、その配当金額算出の基礎となる株式数はその当時の蛇の目ミシン工業の株主名簿に記載されている同人名義の全蛇の目株式数に符合していることが認められる。

以上の事実によれば、他に合理的反証のない限り、亡日出生名義の蛇の目株式は、係争の三五万八四〇〇株を含めてその全部が亡日出生の所有であるとの一応の推定が生じるものというべきである。

2  これに対し、原告らは、亡日出生名義の蛇の目株式五九万九〇〇〇株のうち三五万八四〇〇株は権利能力なき社団たる十一会の所有するものであり、亡日出生の相続財産に含まれないと主張するので、まず、十一会なるものについて検討する。

成立に争いのない甲第五号証の一、第六号証の一、二、第八号証の一ないし四、第一七、第一九号証の各一ないし三、第四五、第四六号証、証人嶋田卓彌、同高木正一及び同田中芳雄の各証言により成立を認める甲第一、第二号証、証人嶋田卓彌、同木村忠雄(第一回)及び同小宮山武嘉の各証言により成立を認める甲第四号証の一、二、弁論の全趣旨により成立を認める甲第五号証の二、証人嶋田卓彌の証言により成立を認める甲第一〇号証の一ないし五、証人大島英砂雄の証言により成立を認める甲第五三号証、右各証言及び証人丸山幸一の証言に弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  小瀬與作、嶋田卓彌、亡日出生、前田増三、高木正一、田中芳雄、丸山幸一、阿部久明、木村忠雄、高岡勇、井上準暁の一一名は、戦前は帝国ミシンに勤務していたが、同社の役員あるいは幹部社員であつた小瀬、嶋田、亡日出生は戦時中退社し、前田を中心とするその余の者も昭和二二年に経営権をめぐる社内の争いに敗れて同社を退社した。そして、当時嶋田が役員をしていた理化学工業株式会社に働きかけた結果、同社の援助と前田らの退職金とによつて昭和二三年四月にリツカーミシンが設立されたので、右一一名全員がリツカーミシンに入社し、小瀬、嶋田、亡日出生、前田が取締役に就任した。しかし、その後、右一一名とリツカーミシンの代表取締役平木信二との間に経営方針等をめぐつて対立が生じ、昭和二七年五月に全員が同社を連袂退社するに至つた。

(二)  右一一名は、かねてから、帝国ミシン当時に行なつていたいわゆる予約販売・直営店方式を推進してわが国のミシン産業を外国企業に対抗できるものにしたいという経営理念を共通にしていたので、右リツカーミシン退社に際しては、全員が結束し嶋田卓彌と前田増三を代表者格にして右会社と退社条件について交渉し、一一名の退職金並びに同人らの所有していたリツカーミシン関係の株式及び商標権を同会社に譲渡する代償として、同会社から、各人ごとに区分することなく一括して現金六〇〇万円の支払及び同社の有するミシン月賦代金債権二五二〇万円の譲渡を受けた。そして、右一一名は、同月三一日前田増三方に集合し、今後は十一会と称して統一的行動をとることを確認し合うとともに、リツカーミシンから取得した右財産を不可分のものとして各個人に分配せず、一一名の中に疾病、失職その他の不幸が出た場合に全員一致の承認により援助救済のために支出することができるほかは、国産ミシン産業の興隆発展にのみこれを充てるものとすることなどを合意し、その旨の覚え書(甲第一号証)を作成した。

(三)  右一一名は、リツカーミシンから取得した前記六〇〇万円を前田増三名義で預金し、また、譲受にかかるミシン月賦代金債権を回収するために、同年六月、一一名中の七名を発起人とし前記六〇〇万円のうちから一〇〇万円を出資して、新橋のガード下に嶋田卓彌と亡日出生を共同代表者とする月賦集金会社を設立し、回収した代金は銀行預金とした。この間、一一名は右債権回収にあたるほかは他に格別の仕事はしていなかつた。

(四)  かくしていたところ、右一一名のミシン事業に関する知識、経験を評価した現在の蛇の目ミシン工業から、経営建直しのために一一名を招聘したいとの話があり、昭和二八年一月、同会社と十一会を代表する嶋田卓彌との間において、同会社が一一名全員を入社させ、うち三名を役員に任命するとの話合がまとまつたので、一一名は同年二月一一日付で同会社に入社し、嶋田卓彌が常務取締役、亡日出生が取締役(まもなく工場長となる。)、前田増三が取締役営業部長、高木正一が営業部次長の役職に就いた。

(五)  右蛇の目ミシン工業入社を機に、同年四月一日、右一一名は全員の合意により正式の十一会規約(甲第二号証)を定めたが、その内容の主なものは次のとおりである。

(1) 目的 十一会は日本におけるミシン事業の援助育成とこれを世界的事業に発展興隆せしめることを目的とする。会員はこの目的達成のため各自のもつ技術、能力、手腕、信用を傾注するものとする。会は会員及びその家族に対して福利厚生を行う(三条)。

(2) 会員 前記一一名を原始会員とし、その出資分は小瀬興作一〇〇分の五、嶋田卓彌一〇〇分の一九、亡日出生一〇〇分の一五、前田増三一〇〇分の一四、高木正一一〇〇分の一二、田中芳雄及び丸山幸一各一〇〇分の七、阿部久明及び木村忠雄各一〇〇分の五・五、高岡勇及び井上準暁各一〇〇分の五とする(六条)。

会員全員一致の承認があるときは、蛇の目ミシンの役員、社員等又は会の目的達成に必要な学識経験者のうちから新たに会員を加入させることができる(七条、八条)。

(3) 機関 総会は会員全員が出席して毎年一回四月に開催し(一四条)、その決議は会員の過半数による(一五条)。会の役員として理事三名以内(うち一名は会計担当理事)、監事一名を置き、理事の互選により代表理事一名を選任する(一六条、一七条)。理事会は会の常務を審議処理する(一八条)。

(4) 財産 会の財産は、会員がリツカーミシン退社の際に得たものを一括拠出した財産及びその後の運用によつて取得加増した財産を基本財産とする(四条)。

基本財産は前記三条に定める会の目的以外に投資、運用、支出してはならない。基本財産及びそれより生じた果実は、蛇の目株式の取得、会員に対する福利厚生又は事務員等に対する給与等の支払、理事会において蛇の目ミシン工業の事業発展と重要関連があると認めた事業への投資、その他会の目的達成のため特に全会員一致の決議によつて支出を認めたとき、のいずれか一に該当する場合に限り、これを投資、運用、支出することができる(二四条)。

(5) 福利厚生 会は会員が老年、疾病その他余儀なき事情により離職したときは一定額の年金を支給する(二七条ないし三〇条)ほか、会員の疾病、災害に対する見舞金及び死亡弔慰金の支出(三一条)並びに緊急時の貸付を行う(三二条)。

(6) その他 会は蛇の目ミシン工業の経営を通じてわが国ミシン事業の基盤確立に寄与していくものであることを確認し(四二条)、万一蛇の目ミシン工業を基盤とする現態勢の維持が困難視されるような緊急事態が生じたときは全員協力一致して行動することとし(四四条)、右緊急事態に際し会の保有する株式等を処分した場合には前記三条の目的達成に最も適当な別の企業に改めて投資するものとする(四五条)。

(六)  その後右一一名は蛇の目ミシン工業の業務に専念し(前記ミシン月賦代金の集金は昭和二八年中でおおむね終つた。)、次第に同社内における地歩を固め、昭和三〇年頃には前記十一会規約四四条、四五条で危惧したような緊急事態が生じることはまずあり得ない状況となり、さらに、昭和三六年には嶋田卓彌が代表取締役社長に就任し、亡日出生が取締役副社長、前田増三が専務取締役に昇格し、高木正一が常務取締役、田中芳雄及び丸山幸一が取締役に就くに及んで、一一名の国産ミシン業界における活躍の場は不動のものとなつた。

(七)  この間、十一会の前記基本財産は、後記のとおり会員名義による蛇の目株式の取得に一部が用いられ、また会員に対する貸付や福利厚生的給付にも充てられたが、対外的には、若干の社交的なものを除けば、十一会の名において何らかの独立の活動がなされたことはない。十一会の運営は、発足の当初から嶋田、亡日出生及び前田の三名が中心となつて行なわれ、財務関係は亡日出生と前田の下で木村忠雄が出納などを担当していたが昭和三五、六年頃からは蛇の目ミシン工業の秘書課も若干関与することがあつた。また、十一会の総会や理事会が正規に開催されたことはなく、必要な場合には嶋田、亡日出生、前田の意向に従つて処理され、他の会員がこれに異議を唱えたことはない。新会員の加入については、規約上これを認めているものの、現実には会員が死亡しても補充しない方針がとられていた。

以上が本件相続開始当時までの十一会に関するおおよその経緯である。冒頭掲記の各証言中、十一会規約六条の各人の出資分の定めが全く意味のないものであつた旨の供述部分並びに十一会の総会が年に一度は開催されていた旨の供述部分はにわかに措信することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

以上の事実によれば、十一会は、戦前からミシン事業に関与して志を同じくしてきた前記一一名の者が、リツカーミシンからの連袂退社という事態に際して結成した精神的連帯の強い同志的結合であることが明らかである。それは、構成員である一一名を超越した存在として独立の社会的活動を営むものというよりは、むしろ、構成員である一一名の個性が極めて濃厚な人的団体であつて、その法律上の性格は社団ではなく組合であると認めるのが相当である。そして、右十一会は国産ミシン産業の興隆発展を図ることを目的とするものであるが、一一名が蛇の目ミシン工業に集団入社した後においては、右目的を具体的にいえば、同人らの有する経営理念によつて右会社を動かしていくということをおいてほかになく、そのためには、右会社の役員となつている会員を始めとして各会員の社内における地位ないし立場を強化発展させることが何よりも重要視されていたものと考えられる。特に昭和三〇年頃以降は、一一名が蛇の目ミシン工業を去つて再び他の企業に移らざるを得なくなるといつた緊急事態の発生に備える必要は実際上なかつたのであり、専ら右に述べた各会員の地位の強化発展のために基本財産を用いることが会の目的にかなうことであつたということができる。本件蛇の目株式の取得はこのような状況の下で行なわれたものである。

3  つぎに、右十一会が蛇の目株式の取得についてどのようなかかわりを有したかを検討する。

(一)  十一会が昭和三八年一二月二三日の本件相続開始以前に自己名義で蛇の目株式を保有したことが全くなかつたことは、原告らの自認するところである。

(二)  前掲乙第三号証の二、証人木村忠雄(第一回)の証言に弁論の全趣旨を合せると、十一会の会員名義による蛇の目株式の取得が行なわれたのは、昭和三〇年一〇月一〇日に嶋田卓彌名義で一万一〇〇〇株、亡日出生及び前田増三名義で各一万株、高木正一名義で三〇〇〇株の合計三万四〇〇〇株が買い入れられたのが最初であり、続いて昭和三一年四月二日右株式に対して倍額増資による同数の新株が割り当てられ、さらに、昭和三二年九月に右四名を含む複数の十一会々員の個人名義で合計三万六二〇〇株(うち七〇〇〇株が亡日出生名義)が買い入れられたことが認められる。

これら三回の株式取得の費用につき、十一会の出納担当者である証人木村忠雄(第一回)は、第一回及び第二回が各一七〇万円(一株五〇円)、第三回が二七一万五〇〇〇円(一株七五円)で、いずれも前記ミシン月賦代金の集金分を預け入れていた埼玉銀行の十一会の預金から支払われた旨供述しているところ、同人が作成した十一会の帳簿であるという甲第一三ないし第一五号証には右供述と符合する出金の記載とともに、右の各取得株式に対する利益配当金が十一会に入金された旨の記載がなされていることが明らかである。しかし、右甲第一三ないし第一五号証の各帳簿をみると、その都度記載されたものではなく後日まとめて作成された疑いを否定し得ないし、また、記載されている入出金額や預金高そのものは取引銀行の作成にかかる成立に争いのない甲第一六号証の一ないし六、第一七及び第一九号証の各一ないし三、第二一号証の一、二、第二二号証の各預金通帳等と一致するところが多いものの、その入出金の趣旨ないし内容までが右帳簿記載のとおりであつたことについてはこれを確認するに足りる客観的裏付にとぼしいといわざるを得ない(昭和三二、三年当時の利益配当金について作成されている甲第三五、第三六号証の各一のイないしハの入金伝票が右の裏付証拠たり得ないことは後に(三)で述べるとおりである。)。

のみならず、前記三回の株式取得が仮に十一会の資金によつて行なわれたとしても、本件においては、それによつて当然に当該株式が十一会に帰属したものとはいい難い事情がある。即ち、前掲甲第二号証の十一会規約二五条によれば、会の財産は十一会名義で保有するのを原則とし、これが困難なときは代表理事又は全会員の承認した理事の名義で保有することができるが、その場合名義人は会の財産に属することを証する書面を会に提出することを要すると定められているところ、右の蛇の目株式の取得はいずれも会員の個人名義でなされしかも、証人嶋田卓彌、同木村忠雄(第一回)、同高木正一、同丸山幸一及び同田中芳雄の各証言によれば、株式名義人となつた会員のうち理事格であつた嶋田、亡日出生、前田を除くその余の者は規約所定の名義人たり得る資格を有していなかつたものであるし、各名義人において当該株式が会の財産に属することを証する書面を会に提出したこともなかつたことが認められる。また、後述のとおり、これらの会員個人名義の蛇の目株式は、当該会員がその後に名実ともに個人で取得したという他の蛇の目株式と管理上区分されていたものとは認められず、とりわけ亡日出生名義の株式については、後日その一部が同人からその家族である原告らへ贈与されているのである。このような事実に加え、前記2に認定した十一会の目的、実態及び昭和三〇年以降における蛇の目ミシン工業の社内事情等を考慮すると、前記各株式の取得が十一会の資金により行なわれたものであるとしても、果たして当該株式を十一会自体に帰属せしめようとしたものであるかどうかは疑わしい。十一会の規約上は会の財産を会員に分配することは禁止されているが、規約制定当時とは客観情勢が変化し会員個人の蛇の目ミシン工業における地位を強化発展させることこそが十一会の設立趣旨にもつとも適合する状況となつていたのであるし、また、会の資金はもともと会員の退職金又はこれに匹敵するものより成つているのであるから、右地位の強化発展の目的を実現するため、規約に定められた各会員の出資分の多寡に応じて各人に順次蛇の目株式を所有せしめるべく、会の資金により当該会員の名義で株式を取得するということも決してあり得ないことではない。これにより所有者となつた会員が右株式につき会のために信託的制約(例えば、全員の了解なく第三者に譲渡しないとか、あるいは必要に応じて利益配当金を会に拠出するとか等)を負担する限りは、株式を会員個人の所有にしたからといつて、格別の不都合があるものとは考えられないのである。

(三)  亡日出生名義の蛇の目株式がその後の昭和三四年七月一日に三万八〇〇〇株、昭和三五年七月一日に六万五〇〇〇株、昭和三七年七月一日に一九万九五〇〇株、昭和三八年七月一日に二九万九五〇〇株それぞれ増資により増えたこと並びに右増資新株の払込は亡日出生名義で埼玉銀行から借り入れた資金により行なわれたことは、前述のとおりである。また、証人嶋田卓彌、同木村忠雄(第一回)、同高木正一、同丸山幸一及び同田中芳雄の各証言と弁論の全趣旨によれば、右増資の際には他の十一会々員名義の蛇の目株式も増えていることが認められる(ただし、全員について一律に推移しているわけではない。)。

ところで、証人嶋田卓彌、同木村忠雄(第一、第二回)、同高木正一及び同斉藤悟は、右埼玉銀行からの借入は実際には十一会が借り入れたもので、その元利金の返済も十一会がしたと供述するが、右事実を認めるにはなお十分でない。その理由は以下のとおりである。

原告らが十一会の昭和二九年から同三八年までの伝票の一部であるとして提出した甲第三二号証の一ないし第四一号証の二のうち甲第三七号証の二のハ、ホないしト、第三八号証の二のニ、ヘ、チ、第三九号証の二のイないしハ、ヘ、チ、リ、第四〇号証の二のイ、ハ、チ、リ、第四一号証の二のロは、右原告らの主張にそうような借入利息の支払に関する記載がある。しかし、本訴の経過と証人阿部誠治、同佐々木康二、同木村忠雄(第一、第二回)及び同斉藤悟の各証言から明らかなとおり、本件では原処分の調査時から本訴の途中までは甲第二三号証の一ないし第二五号証の六八が十一会の昭和三六年から同三八年までの伝票であり、それらはいずれもその当時に作成されたもので、それ以外に十一会の伝票類は現存しないとされていたところ、右伝票用紙が昭和四〇年九月以降に製造販売されたものである旨のコクヨ株式会社の回答書(乙第一六号証)が被告から提出されるや、昭和五〇年七月二一日の本件第二〇回口頭弁論期日に至り原告らからはじめて提出されたのが前記甲第三二号証の一ないし第四一号証の二の伝票である。この点に関し証人木村忠雄(第二回)は、昭和三二年九月購入のいわゆる七五円株は正しくは会員個人に帰属すべきであつたのに十一会のものとして処理されていたので、これを調整するため昭和三九年に各会員との間で所要の精算をし、昭和四〇年頃に正しい帰属関係に帳簿書類を書き改めたが、その際に従前の伝票を日付を遡らせて新しく作りかえたのが甲第二三号証の一ないし第二五号証の六八の伝票であり、右作りかえにより不要となつた従前の伝票のうち散逸を免れたものが甲第三二号証の一ないし第四一号証の二の伝票である旨を供述する。しかし、右七五円株の調整がなされたことの証拠とされている甲第四二号証及び第四三号証の一ないし六はその内容について客観的裏付を欠くうえ(証人木村忠雄(第二回)の証言によれば、甲第四三号証の一ないし六記載の金額は甲第二七号証の預金通帳の入金額と符合することが認められるけれども、その入金の趣旨が右甲第四三号証の一ないし六に記載されたようなものであつたことについては、右証人木村、同嶋田ら十一会関係者の供述をおいて他にこれを確認し得るものがない。)、七五円株の調整のために原始証憑である銀行からの借入に関する伝票まで作りかえる必要があるとは通常考えられず、しかも、作りかえられた甲第二三号証の一ないし第二五号証の六八の伝票には当時既に死亡している亡日出生の印鑑を押すなど単なる内部処理のためのものとしては極めて不自然である(弁論の全趣旨によると、当時は亡日出生の相続税問題が表面化していたことが窺われる。)ことからみると、証人木村の前記供述はたやすく措信し難いものであり、甲第三二号証の一ないし第四一号証の二の伝票はその作成過程そのものに重大な疑義があるといわざるを得ない。

また、右甲第三二号証の一ないし第四一号証の二の伝票の記載内容を証人木村忠雄(第二回)の証言に基づいて検討すると、その入出金が前掲甲第一三ないし第一五号証の帳簿及び取引銀行の作成にかかる成立に争いのない甲第一六号証の一ないし六、第二六、第二七号証、第三一号証の一ないし四の各預金通帳の記載と一部合致していることが認められるが、右甲第一三ないし第一五号証の帳簿自体、直ちに信用するに足るものでないことは(二)で述べたとおりであり、また、甲第一六号証の一ないし六、第二六、第二七号証、第三一号証の一ないし四の各預金通帳も、これによつて前記伝票の入出金そのものを裏付けることはできるにしても、それ以上に当該入出金の趣旨ないし内容までが右伝票に記載されているとおりであることを証するものではない。したがつて、前記伝票は、少なくともその入出金の趣旨ないし内容に関する限り客観性にとぼしく、他に銀行との間の真実の貸借関係を的確に示す証拠の提出もない以上、右伝票により十一会が会員名義の蛇の目株式についての増資割当新株の購入資金を借り入れたと認めることはできない。

さらに、十一会の勘定元帳である甲第三〇号証には、十一会が増資新株を取得するために埼玉銀行から借入をした旨の記載があるが、証人斉藤悟の証言によれば、右勘定元帳は昭和四〇年頃に甲第二三号証の一ないし第二五号証の六八の伝票を基にして作成されたことが認められるところ、右甲号証の伝票は前に述べたとおり作りかえられたものであつて信用性に欠けるものであるから、これから転記された甲第三〇号証の勘定元帳の記載も措信し難いといわざるを得ない。

結局、昭和三四年以降における十一会々員名義の蛇の目株式取得については、その費用を十一会が負担したと認めるに足りる証拠は十分でないことに帰する。

(四)  前掲甲第三七号証の一のイ、ロ、第三八号証の一のイないしニ、第三九、第四〇号証の各一のイないしチ、第四一号証の一のイの各入金伝票には昭和三四年以降に取得した十一会々員名義の蛇の目株式に対する利益配当金が十一会の収入として入金されたかのような記載があるが、これらの伝票の作成過程に疑義があることは(三)で述べたとおりである。

(五)  証人嶋田卓彌、同丸山幸一、同高木正一及び同田中芳雄は、十一会が蛇の目株式を十一会々員の個人名義としたのは、蛇の目ミシン工業の社内事情から十一会という名称を表面に出さないことになつていたことと、十一会の会員で右会社の役職に就く者の名義株を増やして同人の発言力を高めようとしたことから採られた手段であると供述する。しかし、証人助安真一及び同大島英砂雄の各証言によれば、十一会の存在は右会社内では周知のことであつたと認められるので、株式の名義だけを会員個人に分散しておかなければならないだけの必要があつたかは疑わしいところであるし、また、一たび特定の会員の名義になつた株式が他の会員名義に変更されたりした形跡が全くないことからすると、十一会の組織を背景にして、その時々において右会社内での発言力を増やす必要のある会員の名義株式を増加するように操作していたとも認められないのであつて、前記各供述はたやすく採用することができない。

(六)  証人木村忠雄(第一、第二回)は、十一会の会員名義となつていた蛇の目株式には十一会所有分と会員個人所有分とがあつたが、両者は管理上区分されており、十一会所有分は同人が一括して株券を銀行の貸金庫に保管し、名義人である会員宛に増資新株の割当や配当がきたときの処理も同人が行ない、さらに、配当金に対する課税については、名義人である各会員が自己の個人所有分の配当金と合せて申告、納付をした後に木村が十一会所有分にかかる税額を計算して十一会の資金中から各会員に返していた旨供述し、前掲甲第一四号証の帳簿及び甲第三六号証の二のイ、ロ、ハ、第三七号証の二のイ、ロ、ニ、第三八号証の二のイ、ロ、ハ、ホ、チ、第三九号証の二のロ、ニ、ホ、ト、第四〇号証の二のロないしト、第四一号証の一のハ、同号証の二のイの各伝票にはこれにそうかのごとき貸金庫料又は税金に関する記載がある。そして、証人嶋田卓彌、同高木正一、同丸山幸一、同斉藤悟、同助安真一及び同大島英砂雄の各証言中にも、概括的ではあるが右と同趣旨の部分がある。しかし、右証人木村は、他方において、十一会所有分と会員個人所有分との区別が曖昧であつたことを認めているのであり、特に同人自身の名義の株式についてすら十一会所有分と個人所有分の割合が分らない旨供述していること(第一回証言)、十一会所有分と会員個人所有分とが区分されていたとすれば、それに対する利益配当金も区別し得たはずであるから、税金についてあえて右のような事後調整の方法をとる必要がないこと、右帳簿及び伝票の入出金の趣旨ないし内容に関する記載には前記のとおり客観的裏付が欠けていることなどに照らすと、右各証拠から十一会所有の蛇の目株式と会員個人所有のそれとがはつきり区別されていたものと認めることは困難であるといわざるを得ない。証人斉藤悟が昭和四〇年過ぎに作成したという甲第三号証の十一会の有価証券台帳は、同人がその作成の基礎にしたとする木村忠雄作成のメモになるものの存否が不明であるし、また、会員個人名義の蛇の目株式を十一会所有分と会員個人所有分とに区別した記載のある甲第五〇、第五一号証の各一、二、第五二号証のメモについては、これを亡日出生が生前に作成したものであるとする証人大島英砂雄及び原告川本暉夫本人の供述はにわかに採用することができないので、いずれも証拠とすることができない。そして、他に亡日出生名義の蛇の目株式五九万九〇〇〇株が書面上又は管理上において十一会所有分と亡日出生個人所有分とに現実に区別されていたことを認めるに足りる的確な証拠はない。

(七)  成立に争いのない乙第三号証の一ないし六によれば、亡日出生名義で取得及び放出した蛇の目株式の株券の記番号が判明するので、右記番号に基づいて本件相続開始時までの同人名義の株式の異動経過をたどると、別紙四の〈1〉ないし〈13〉のとおりとなることが認められる。右別紙四によると、昭和三一年四月二日取得の一万株(へ甲五六七ないし五七六)及び昭和三二年九月三〇日取得株式のうちの一〇〇〇株(ろ甲八三)は、原告らの主張によれば十一会所有分として処理されていたはずのものであるにもかかわらず、これらの株式が亡日出生の個人所有分であるかのごとく昭和三五、三六年中に同人から原告らに贈与されている。この点について原告らは、別紙三のとおり、昭和三五、三六年中に原告らが贈与を受けたのは亡日出生が昭和三四、三五年の各七月一日の増資時に取得した合計二万二〇〇〇株の同人個人所有分であると主張するが、別紙四から明らかなとおり、昭和三五年七月一日取得の一万一〇〇〇株(ち甲一九九〇ないし二〇〇〇)が原告らに贈与されて名義書換が行なわれたことはなく、右一万一〇〇〇株は購入時から本件相続開始時までの間に名義人に変動が見られないから、原告らの右主張はこの点において根拠がないことになる。もつとも、原告らは、増資新株払込資金を借り入れるために担保として株券を銀行に預けた際に十一会所有分と亡日出生個人所有分とが混同したとも主張するが、両者の株券を区別せずに担保に供すること自体、そのような区別がそもそもなかつたことを表わすものである。

(八)  成立に争いのない甲第一二号証の一〇、一一、証人嶋田卓彌、同高木正一、同丸山幸一及び同田中芳雄の各証言によれば、昭和四一年にそれまで十一会々員の個人名義となつていた蛇の目株式のうち一五三万株余について各会員了承のもとに株主名簿上の名義が会員個人から十一会へと書き替えられたことが認められる。しかし、右名義書替は本件の課税問題が生じた後になされたものであること、また、前述した十一会の実態からすれば、株主名義を十一会としても会員の実質的利害にはほとんど影響がないことなどを考えると、右名義書替の事実をもつて直ちに本件相続開始前に十一会が蛇の目株式を保有していたことの根拠とするわけにはいかない。

4  以上を要するに、亡日出生名義の係争の蛇の目株式三五万八四〇〇株の帰属については、原告らの全立証をもつてしても、先に述べた推定を動かすには足りないというほかない。したがつて、右株式は、争いのない二四万〇六〇〇株と同様に亡日出生の所有であつたと認めるべきである。前掲各証拠のうち右認定と抵触するものはすべて採用しない。

三  課税価格に加算すべき贈与の有無

原告川本昇、同川本暉夫及び同中川〔日令〕子が亡日出生からその生前に各人とも蛇の目株式四〇〇〇株五二万八〇〇〇円(一株一三二円)宛の書面によらない贈与を受けたこと並びにその株主名簿の名義書換日が昭和三五年一二月二三日であることは、当事者間に争いがない。

ところで、書面によらない贈与は、その履行が終るまでは、当事者がいつでも自由にこれを取り消すことができるものであり(民法五五〇条)、その履行前は目的財産の確定的な移転があつたということができないから、書面によらない贈与について相続税法一条の二等にいう「贈与により財産を取得した」として贈与税を課するためには、贈与の履行が終了してもはや任意に取り消されることがなくなることが必要であると解すべきである。そして、相続の場合に当該相続の開始前三年以内に贈与により取得した財産の価額を相続税の課税価格に加算することを定めた同法一九条の規定も、右三年の期間を計算する基準として同じように「贈与により財産を取得した」との文言を用いていることからすると、書面によらない贈与の場合に右加算すべき贈与に当たるか否かは履行終了の時が三年以内か否かによつて決すべきものであり、特段の事情の主張立証のない本件においては、贈与にかかる株式の名義書換日に贈与の履行が終了したと認めるのが相当である。

そうすると、右贈与は相続開始前三年以内の贈与に当たるから、右原告ら三名についてはその課税価格に右贈与額各五二万八〇〇〇円を加算すべきである。

四  亡日出生の債務

本件相続開始時において亡日出生名義の埼玉銀行東京支店からの借入金債務が二四九五万円あつたことは当事者間に争いがない。原告らは、そのうちの九八四万円についてのみ亡日出生の債務であつたことを認め、その余の一五一一万円は十一会の債務であると主張するが、前記二で判示したところに照らせば、右二四九五万円全部が亡日出生の借入金債務であると認めるほかはない。甲第五六号証をもつてしては右認定を覆すには足りず、他に右認定を動かすに足りる証拠はない。また、原告らは、亡日出生が十一会に対して五八一万三二四円の債務を負担していたと主張するが、これにそう記載のある甲第五七号証の一、二の勘定元帳は、前述のとおり昭和四〇年頃に日付を遡らせて作りかえた甲第二三号証の二〇、四〇、第二四号証の一一、四五、第二五号証の八、四〇等の伝票と符合するものであつて、措信し難く、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

右埼玉銀行東京支店からの二四九五万円の借入金の他に亡日出生が合計四七九万五七七二円の債務を負担していたことは当事者間に争いがないから、結局、同人の控除すべき債務額は合計二九七四万五七七二円となる。

五  原告らの課税価格

蛇の目株式の本件相続時の価額が一株二〇一円であることは当事者間に争いがないから、前記二の蛇の目株式五九万九〇〇〇株の価額は合計一億二〇三九万九〇〇〇円であり、これに当事者間に争いのないその他の財産の価額三七四二万七三三六円を加えると、本件相続にかかる積極財産の価額は合計一億五七八二万六三三六円となる。右価額から前記四の債務二九七四万五七七二円を控除したうえ、前記三の原告川本昇、同川本暉夫及び同中川〔日令〕子について加算すべき贈与額各五二万八〇〇〇円、同じく加算すべき贈与額であることに争いのない原告川本豊子についての一〇万円、同川本昇についての六〇万円、同川本暉夫についての一一一万六〇〇〇円、同中川〔日令〕子についての五〇万四〇〇〇円、同津村晴子についての六四万五〇〇〇円及び原告川本昇が負担した葬式費用として控除すべきことに争いのない二〇万円を基礎にして、各原告の課税価格を計算すると、別紙二の「課税価格の計算」の欄のとおり、原告川本豊子が四二七九万三〇〇〇円、同川本昇が二二二七万四〇〇〇円、同川本暉夫が二二九九万円、同中川〔日令〕子が二二三七万八〇〇〇円、同津村晴子が二一九九万一〇〇〇円となる。

六  したがつて、右金額を課税価格としてなされた本件処分に原告ら主張の違法はない。

よつて、原告らの各請求をいずれも棄却することとし(なお、原告川本豊子が取消しを求めている範囲は、形式的には同原告の修正申告額を下廻つているが、真意は、本件処分により修正申告額に追加された部分の取消しを求めるにあると解される。)、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 佐藤繁 川崎和夫 岡光民雄)

別紙二~四〈省略〉

別紙一 課税経過等一覧

区分

(昭和年月日)

摘要

合計(円)

原告別の内訳(円)

川本豊子

川本昇

川本暉夫

中川〔日令〕子

津村晴子

(イ)

申告

(39.6.23)

課税価格

61,854,500

20,684,900

10,142,400

10,342,400

10,342,400

10,342,400

税額

17,920,030

5,259,560

3,107,570

3,184,300

3,184,300

3,184,300

(ロ)

修正申告

(40.5.21)

課税価格

63,971,700

21,390,546

10,495,293

10,695,293

10,695,293

10,695,293

税額

18,622,360

5,485,220

3,224,570

3,304,190

3,304,190

3,304,190

(ハ)

更正

(42.2.3)

課税価格

140,300,300

45,025,000

23,622,600

24,530,600

23,774,500

23,347,600

税額

55,011,530

17,080,180

9,475,460

9,618,400

9,598,640

9,238,850

過少申告加算税

1,819,300

579,700

312,500

315,700

314,700

296,700

(ニ)

異議申立て

(42.3.2)

(ホ)

同上決定

(42.5.25)

棄却

(ヘ)

審査請求

(42.6.24)

(ト)

同上裁決

(45.6.20)

課税価格

132,426,000

42,793,000

22,274,000

22,990,000

22,378,000

21,991,000

税額

51,072,700

15,924,200

8,791,900

8,920,700

8,811,100

8,624,800

過少申告加算税

1,622,300

521,900

278,300

280,800

275,300

266,000

(チ)

原告らが本訴において取消しを求める範囲

税額

5,428,500円を超える部分

3,612,700円を超える部分

3,826,500円を超える部分

3,655,400円を超える部分

3,527,200円を超える部分

過少申告加算税

521,900

税額を3,612,700円として算出される額を超える部分

税額を3,826,500円として算出される額を超える部分

税額を3,655,400円として算出される額を超える部分

税額を3,527,200円として算出される額を超える部分

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例